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世界のピアニスト

ウラディミール・ホロヴィッツ【平らな手をしたキツネ顔のヴィルトゥオーソ】

ウラディミール・ホロヴィッツ【平らな手をしたキツネ顔のヴィルトゥオーソ】

人々の記憶に残るピアニストとは一体どのようなピアニストでしょうか?

とんでもなく指が回るピアニスト、歌い回しが上手なピアニスト、著名なコンクールを制したピアニスト、など、人によって様々だと思います。

そんな「記憶に残るピアニスト」として頻繁に挙げられるピアニストの一人がウラディミール・ホロヴィッツ。

もうどこを取っても他のピアニストとは何かが違うのですよ。「個性派」という枠に収まりきるのかどうかすら心配。

はっきり言って、聴く人によって好き嫌いが別れるタイプのピアニストでしょう。でも、熱狂的なファンの数が恐ろしく多いのも事実。

今回はそんなピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツの経歴、特徴おすすめ演奏動画、おすすめCDについてご紹介していくことにしましょう。

ウラディミール・ホロヴィッツの経歴

ウラディミール・ホロヴィッツの経歴
ウラディミール・ホロヴィッツがどのような人生を歩んできたのかについて見ていくことにしましょう。

諸説ある生い立ち

ウラディミール・ホロヴィッツは1903年10月1日に生まれました。1904年生まれという表記もよく見かけるものの、これはホロヴィッツの父が徴兵を恐れるために誕生年を1年遅く申告したことによるものなのだとか。

生まれた場所については見解が分かれていまして、本人はウクライナのキエフで生まれたと主張していましたが、現在ではその隣のジトーミル州というところで生まれたというのが有力です。

ちなみにこのジトーミルという土地、実はかのスヴャトスラフ・リヒテルが生まれた土地でもあります。

母はピアニストだったため、幼少期は母からピアノを習っていたようです。その才能をさらに磨くべく、1912年にはキエフ音楽院に入学。

1919年の卒業時にはピアノ協奏曲の中でも最も難しいと言われているラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏しています。

さらっと書いてますけど、日本でいう高校1年生で少なくとも技術面では最高クラスの作品を演奏しているわけです。半端ない。ちなみにこの曲、生涯に渡って演奏し続けていて、いわばホロヴィッツの鉄板曲となっています。

1920年には初めてのピアノリサイタルを開いております。というわけで、今年(2020年時点)はホロヴィッツのデビュー100周年ということなんですね。それを祝う人がいるかはともかくとして。

それを皮切りにベルリン、パリ、ロンドンと言ったヨーロッパを代表する都市で演奏旅行を行います。

鮮烈なアメリカデビュー

そして、アメリカデビューを果たしたのが1928年。この年がホロヴィッツの一つの大きな節目となっております。

しかし、この彼のアメリカデビューはある意味波乱の幕開けでもありました。

イギリスの財力をもってして成り上がった有名な指揮者にトーマス・ビーチャムという人物がいらっしゃいまして、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏する予定だったのですが、なんでもビーチャムの指定するテンポがあまりに遅かったために揉めてしまったのだとか。

結局折り合いがつかずバッチバチのまま本番に望んだわけですね。そして初めこそ渋々ビーチャムのペースに付き合っていたホロヴィッツですが、1楽章の途中で「これではダメだ。」と悟ったそう。

だんだんとテンポを上げて、最終的には観客を熱狂の渦に包み込むような圧巻の演奏となったそうです。そして、これがアメリカで話題になり、「奇跡のピアニスト」とすら言われたそうです。

これが転機となり、アメリカのRCAというレーベルと契約し、レコーディングにも取り組み始めます。(現在はEMIの支配下にあるそうですが。)

また、名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニとも共演しており、そのご縁もあってトスカニーニの娘さんと結婚を果たしています。アメリカでの仕事をきっかけにパートナーまで見つけてしまうなんて、ホロヴィッツもちゃっかりしてますな。

そんなこんなでホロヴィッツにとってアメリカというのはおそらく大変思い入れの国となりまして、1940年には米国に移住、1944年には市民権獲得に至っております。

空白の12年

ホロヴィッツはその後も演奏旅行を続けていたのですが、アメリカデビュー25周年記念のリサイタルを機に、急に表舞台から姿を消してしまいます。1953年のことでした。

真相はホロヴィッツ本人に聞くしかないですし、あくまで噂ですが、上述の記念コンサートの折に共演したジョージ・セルという指揮者にアフターパーティーにディスられて傷付いたんだとか。

でも原因はそれだけではなくて、そもそもその時期本人が不調に悩まされていたということもあったようで。自分に自信が持てないセンシティヴな時期だったのでしょう。

こうして鬱に悩まされるようになったホロヴィッツは50歳にして引退を発表します。

それでも徐々に回復し、そろそろ復帰するんじゃないかと言われていたホロヴィッツですが、1957年には娘のソニアを失うというさらなる悲劇に見舞われます。これで鬱病に逆戻り。どころかさらにひどい鬱病になってしまったようで。

そして鬱病の治療として行われたのが電気けいれん療法(ECT)。なかなかアクロバティックな感じですが、この治療法は重症の鬱病に対する手段として未だ現役です。

ただ当時はまだ手法が洗練されていなかったこともあり、副作用として記憶を失うことも。

こういった経緯もあり、ホロヴィッツがステージへと帰ってきたのは結果的に引退から12年もの歳月が経ってからのことでした。

Historic Return

待望の復活コンサートは1965年5月9日に行われました。場所はデビュー25周年記念コンサートを行なったのと同じカーネギーホール

12年前のピアニストなんて流石にもう覚えていないんじゃ……。と思いきや、なんとチケット発売日の前夜からホールの前には300人近い人々が行列を作っていたのだとか。人々がいかにホロヴィッツを愛し、待ち望んでいたのかということがわかります。

コンサートはブランクを感じさせないどころか、とんでもない熱演だったそうで、”Historic Return” (「歴史に残る復帰」)として伝説となっています。

コロンビア・レコードからはこのコンサートのライヴ盤が発売され、グラミー賞を受賞するほどのヒット作となりました。

その腕達者ぶりを改めて世に知らしめたホロヴィッツはこれを機に再びレコーディング活動も積極的に行なうようになります。ホロヴィッツが数多く名盤を生み出したのもこの時期です。

晩年

1970年代後半、70代半ばを過ぎたホロヴィッツは流石に衰えを隠す事が出来なくなっていきました。調子の波が大きくなり、健康状態も不安定だったようです。

処方された薬の副作用によって体が思うように動かないようになっていたとの説も。

それでも1989年11月5日にその生涯を閉じるまで、モスクワやベルリン、日本などで演奏活動を行なったり、レコーディングを行なったり精力的に活動を続けました。

ウラディミール・ホロヴィッツの特徴

ウラディミール・ホロヴィッツの特徴
誰がどう見ても超個性派ピアニストのホロヴィッツ。彼の奏法をはじめとした様々な特徴について見ていくことにしましょう。

手を平らにして弾く独特な奏法

「卵を掴むような手で弾いてみましょう。」

ピアノを習い始めた頃によく聞く言葉絵はないでしょうか。では、ホロヴィッツはどうか。びっくりするくらい指が真っ直ぐです。

こんな弾き方が可能なのは後にも先にもホロヴィッツだけでしょう。普通の人が真似しても無理です。変わった弾き方ですがピアノを鳴らすには理想的だという説も。かのランランもホロヴィッツの演奏スタイルを賞賛していました。

ホロヴィッツの演奏を聞くとわかるのですが、とにかく音が良く鳴るんですね。メロディー以外の音もきちんと鳴っていて、大変力強い。

一風変わっていてひきにくそうに見えるにも関わらず、あの超絶技巧が生み出されるわけですから、熱狂的なファンが付くのもわかりますね。

レパートリー

ホロヴィッツのレパートリーはロマン派(ショパン、リスト、シューマン、ラフマニノフ)が中心ですが、モーツァルト、ベートーヴェン、スカルラッティついても頻繁にプログラムに取り入れていました。

またバーバー、プロコフィエフ、カバレフスキといったホロヴィッツと同世代の作曲家の作品も積極的に演奏していました。

特にスカルラッティに関しては今でこそメジャーな作曲家となっていますが、ホロヴィッツがその魅力を再発見したような節があります。

また演奏会やレコーディングを行なっていない曲も多数あるようなので、実際のところどこまでレパートリーが広大だったのか、知る由もありません。ショパンの曲はほとんど全て引けたのだとか。

ピアノ教師として

ホロヴィッツはその絶大な人気ゆえ、弟子入りを申し込むピアニストというのは多かったようです。例えばマルタ・アルゲリッチもその一人。(ホロヴィッツの妻が拒んだので実現しませんでしたが。)

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ホロヴィッツ自身も弟子を取ることに対して消極的だったそうです。本人曰く弟子入りを認めたのは3人のみ。自分の演奏スタイルが特殊であるということを自覚していたため、それが弟子に悪影響を及ぼすのではないかと心配していたのだとか。

ランランやユジャ・ワンを育てたあのゲイリー・グラフマンもこの貴重な3人の一人だったそうです。

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また、マレイ・ペライアも弟子入りはしていないものの、ホロヴィッツからアドヴァイスを受けていたようです。ホロヴィッツが亡くなる前の晩にも会っていたそうです。

ウラディミール・ホロヴィッツおすすめ演奏動画

ウラディミール・ホロヴィッツおすすめ演奏動画
ホロヴィッツの演奏動画を見ていく事にしましょう。尋常ではない手の動きに驚く事間違いなし。

ピアノ協奏曲第3番(ラフマニノフ)

こちら、ホロヴィッツが最も得意としていたピアノ協奏曲の一つ。先ほども述べたとおり、ラフマニノフ自身のヴィルトゥオーソぶりを見せつけるようなとんでもない難曲です。

ちなみにホロヴィッツはラフマニノフ本人とも関わりがあったピアニストの一人です。(年齢差は30歳。)

ラフマニノフがソロパート、ホロヴィッツがオケパートを担当して二人でこのピアノ協奏曲第3番を演奏して遊んだこともあるのだとか。

このピアノ協奏曲第3番の演奏に関しては観客席で聴いていたラフマニノフも「ホロヴィッツの方が自分よりはるかに上手い」と大絶賛だったそうですよ。

ちなみにラフマニノフのピアノソナタ第2番に関しては、1913年版と1931年改訂版の2つがあるのですが、ホロヴィッツは両者を折衷した「ホロヴィッツ版」を作り、ラフマニノフ本人にもそれを認めた、といったようなエピソードがあります。

練習曲Op.8-12「悲愴」(スクリャービン)


こちらスクリャービンの代表曲である「悲愴」。練習曲とはされていますが、ショーピースとしても絶大な演奏効果を誇っています。

ホロヴィッツの演奏の特徴として、バスの音の響きが異常なまでの豊かさが挙げられます。

すごくよく響くのですが、ガツーンとした不快なタッチとはまた違うんですよね。

この曲はオクターヴによるパッセージが主要な練習課題となっていますが、そういったホロヴィッツの良さが活かされた曲であると言えます。

カルメンの主題による変奏曲(ビゼー=ホロヴィッツ)


ホロヴィッツはピアニストだけでなく編曲も手がけています。その最も代表的なものがこの「カルメンの主題による変奏曲」です。

とんでもなく難しそうに見えます。最近だとユジャ・ワンがアンコールでよく弾いているイメージですね。

この他にもホロヴィッツが編曲を手がけた曲としては『死の舞踏』、『結婚行進曲による変奏曲』、『星条旗よ永遠なれ』、『ハンガリー狂詩曲第2番』、『展覧会の絵』などがあります。

どの編曲に関しても、ホロヴィッツは高いテクニックを誇っていたのはもちろん、どうやったら聞く人が盛り上がるのかということまで心得ていたのだな、ということが伺えるものとなっています。

ウラディミール・ホロヴィッツのおすすめCD

ウラディミール・ホロヴィッツのおすすめCD
その個性的なタッチで数多くの名盤を世に送り出したホロヴィッツ。彼の残したアルバムの中でもおすすめのものを紹介していきます。

Historic Concert

こちら上述の通り、ホロヴィッツが12年の引退期間をおいてカーネギーホールに帰ってきたときの録音。

「幻想曲」、「バラード1番」などの大曲をはじめ、シューマンやショパンといた彼が得意とする作曲家の作品を中心にプログラムが組まれています。

他にもスクリャービンのピアノ・ソナタ第9番「黒ミサ」、バッハのBWV564など。

12年間のブランク(そりゃ全く弾いてなかった訳ではないんでしょうけれども)があったからか、やはりミスタッチや技巧の物足りなさが認められるのは事実です。

しかしながら、「トロイメライ」など、それまでは技巧系の曲で人々を湧かせていたホロヴィッツがその音楽性で勝負するようになった、という大きな変化が感じられます。

そういったホロヴィッツのピアニストとしての「転換点」としても貴重なアルバムです。

Horowitz in Moscow

こちらホロヴィッツのモスクワでのライブ録音。1986年の演奏ということで、亡くなる3年前の演奏です。ホロヴィッツ晩年の演奏の中でもとりわけ評価が高いものです。

彼らしいポロポロとした音色のスカルラッティ、モーツァルトから始まり、彼の得意なショパン、シューマン、ラフマニノフといったロマン派の作曲家をメインにプログラムを構成しています。

ロシアというのはホロヴィッツの祖国であり、やはり特別な感情があるのだろうな。という気合の入りよう。

カーネギーホールでの演奏ではやや技術的な粗が目立っていますが、こちらはミスタッチも割と少なめ。

おわりに

おわりに
さて、今回は現在もなお熱狂的なファンを数多く抱える個性派ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツについてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

最近ですとホロヴィッツを超える技巧を持つピアニストも少なくないですが、ホロヴィッツの音色というのはやはり今もなお唯一無二のものです。

今までホロヴィッツをあまり知らなかったという方も、この記事をきっかけにホロヴィッツの演奏に色々と触れていただけると幸いです。


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