イーヴォ・ポゴレリチというピアニストをご存知でしょうか?
何より「ポゴレリチ事件」でその名を広く知られているピアニストです。
彼は音楽家としても、一人の人間としてもとにかく他の人とは違います。
今回はイーヴォ・ポゴレリチの経歴・特徴・おすすめ演奏動画・おすすめCDなどについて紹介していくことにしましょう。
目次
イーヴォ・ポゴレリチの経歴
イーヴォ・ポゴレリチはこれまでにどのようなキャリアを歩んできたのか、見ていくことにしましょう。
ピアノ界の異端児はいかにして誕生したのでしょうか。
荒れた学生時代
イーヴォ・ポゴレリチは1958年10月20日にユーゴスラヴィアのペオグラードで生まれました。
父はクロアチア人、母はセルビア人となかなか複雑なルーツをお持ちのようですね。
父はコントラバス奏者であり指揮者も務めていたとのことなので、ポゴレリチがピアノを始めるのはごく自然なことだったのかもしれません。
1970年には親元を離れロシアへと赴き、モスクワ中央音楽学校へと留学し、本格的に音楽の勉強をすることになります。
1975年に卒業した後にはチャイコフスキー記念モスクワ音楽院へと進学。ロシアのピアニストの王道コースを通ってきたわけですね。
しかしながら、彼はなかなかこだわりが強いタイプの生徒だったそうで、学校の先生とも対立しまくり。
退学処分直前までいったことも3度あったそうです。
もともとロシアの外出身の学生であったということもあって、目を付けられていたというのもあるようですが。
恩師との出会い
問題児として通っていたポゴレリチですが、1976年にモスクワでのパーティーに招かれ、そこで運命的な出会いを果たします。
その人物とはアリザ・ケゼラーゼ。彼女は現在のジョージア出身のピアニストであり、尚且つ学者も努めるようなインテリ肌だったそうです。
二人はすぐに意気投合し、ポゴレリチはケゼラーゼからレッスンを受けることとなります。
今までピアノの先生に対して反抗的な態度を取り続けていたとは思えないほど、ケゼラーゼの言葉の一つ一つに重みを感じたようです。
ポゴレリチ事件
イーヴォ・ポゴレリチはケゼラーゼの元で研鑽を積み、国際コンクールにも挑戦するようになります。
- 1978年 アレッサンドロ・カサグランデ国際コンクール第1位
- 1980年 モントリオール国際コンクール第1位
立て続けに国際コンクールで優勝し、一躍注目を集めるようになります。特にモントオール国際ピアノコンクールでは満場一致の優勝でした。
そして有力候補として迎えた1980年のショパン国際ピアノコンクール。
ポゴレリチは順当に勝ち進みましたが、その一方で審査員の評価はずっと分かれていました。
楽譜に忠実な演奏とは一線を画するような非常に個性的な演奏である一方、テクニック的には非常に安定していたため、審査員からすると評価がとても難しかったのです。
そして本選出場をかけた第3次予選。ポゴレリチはファイナルを目前に落選してしまいます。
そして、この結果にいち早く声をあげたのが、世界最高のピアニストであるマルタ・アルゲリッチ。
ピアノを嗜む方なら誰もが名前を知っているような超大物です。
「だって、彼は天才なのよ!」という言葉を残し、アルゲリッチはなんと審査員を自ら降板する事態に。
パウル・パドゥラ=スコダを含む何人かの審査員はアルゲリッチの意見に賛同し、審査会議は紛糾したものの、結果は変わらず。
ちなみにアルゲリッチはそれ以降、20年後の2000年大会まで審査員の席まで戻ってくることはありませんでした。
この騒動は大きな話題を呼ぶこととなり、審査員達も静観するわけにはいかなくなりました。
結果、審査員長のコルド、ポゴレリチを交えた記者会見が行われることに。そして、ポゴレリチは前代未聞の「審査員特別賞」を授与されます。
このような一連の騒動が「ポゴレリチ事件」として伝説として残っているのです。
それにしてもアルゲリッチがここまで才能を絶賛するピアニストというのは滅多にいません。彼女のアイドルであるグルダと友人フレイレくらいしか他に思い当たらないくらい。
この事件以降、アルゲリッチはポゴレリチのことを相当気にかけていたようで、頻繁に自らのコンサートに招くなどしています。
友達はとことん大事にするアルゲリッチらしいですね。
優勝の栄冠こそ掴むことはできませんでしたが、この騒動がきっかけとなりポゴレリチはクラシック音楽界で引っ張りだこに。グラモフォンとも契約し、録音にも乗り出します。
その後
ポゴレリチはショパン国際ピアノコンクールの後、自らの師匠であるケゼラーゼと結婚を発表します。
いつの間にやら、師弟関係を超えた関係となっていたのですね。それにしても結婚当時ポゴレリチが22歳、ケゼラーゼが43歳ということで21歳差。
ポゴレリチの若い頃はなかなかの美男子だっただけに相当モテたのではないかと思われますが、そんな中で彼女を選んだというのは驚きですね。
コンクール後、ポゴレリチはカーネギーホールデビューを果たしたり、カラヤン、アバドなどの名だたる指揮者と共演するなどしています。
苦悩の日々
「ポゴレリチ事件」をきっかけに一躍トップピアニストの一人となったポゴレリチですが、彼にはずっと気がかりなことがありました。
それは祖国の不安定な政治情勢です。東欧諸国はが内戦を繰り返していたのです。
1991年にはクロアチアがユーゴスラヴィアからの独立を宣言。これをきっかけにクロアチアとセルビアの間で内戦が始まります。
父の祖国と母の祖国の間で政治的対立が起こるという、ポゴレリチにとっては穏やかでない状況になってしまったわけですね。
そして最終的にポゴレリチはセルビアとは訣別し、クロアチア人としてその後の人生を歩んでいくことを決意します。
ケゼラーゼとの別れ
1996年、ポゴレリチの師であり妻であるケゼラーゼが肝臓癌により亡くなります。
決して人付き合いが上手であるとは言い難いポゴレリチにとってケゼラーゼは自分の全てを理解してくれる唯一の存在と言っても過言ではなかったのでしょうか。
それゆえ、ケゼラーゼの死後は半ば鬱状態になってしまったそうです。指針となる人がいなくなったことにより、彼の演奏はその後迷走。
もちろん鬼才だけあって時折光るものを見せるものの、それまで以上に極端な解釈、異様に遅いテンポが悪目立ちしてしまい、評論家の評価も芳しくなくなっていきます。
そして、2000年頃から5年以上に渡る療養期間を設けることとなります。
その後、2005年にピアニストとしての活動を再開するものの、現在に至るまで好不調の波は非常に大きいのは変わらず。
ピアニストとしての自信を失ってしまっているのかもしれません。
しかしながら2019年には彼の人生の大きな転換点を迎えることとなります。休養からの復帰以来頑なに拒んでいたレコーディングを行い、久々のアルバムが発売されたのです。
決して多くを語る人柄ではないだけに、彼の心境にどのような変化があったのかを知ることは難しいですが、ひょっとすると演奏家としての自身のあり方に確信を持てる部分も見え始めているのかもしれません。
イーヴォ・ポゴレリチの特徴
イーヴォ・ポゴレリチの特徴について見ていきましょう。
とにかく個性的な演奏
ポゴレリチの演奏はかなり型破りです。楽譜にppを書いてあっても思いっきり響かせることもありますし、反対にffを弱音で演奏することも。
かと言って楽譜を軽視しているのかというと、そのようなことは全くなく、むしろ楽譜を細部まで読み込むことに多くの時間を割いているのだと、本人がインタビューで語っています。
楽譜を見て考え抜いた末に至る境地、ということなのでしょうか。
また、先ほども述べたとおり、ケゼラーゼとの死別以降、何かずっしりとしたものを引きずっているかのような超スローテンポがお馴染みになってきています。
これも本人曰く「テンポの遅い、速いは音楽の良し悪しに関係しない」との考えなんだそうです。
しかしながら、昔の華麗なテクニックを考えると、今はもう身体的限界を迎えてしまっているのではないか、と思わずにはいられないところでもあります。
ゾクゾクする音
超スローテンポで評価の分かれるポゴレリチですが、今も昔もそのゾクゾクさせるような音というのは変わらぬまま、いやむしろ進化(深化)している感さえあります。
それが一体どのようにして生み出されているのか、本当に不思議です。悪魔的なものさえ感じさせます。
彼の長所として、どこまでも繊細な弱音が挙げられます。それによりディナーミクの幅が広がっているのも、この不思議な音の秘訣なのかもしれません。
驚くべきビフォーアフター
ポゴレリチといえば、ショパンコンクールに出ていたような若かりし頃は金髪の美青年でした。
ところが療養期間を経て、どうでしょう。見事なスキンヘッドになっているではありませんか。
ちょっとラフマニノフに寄せてみた感じにも思えなくもない。しかし、彼のレパートリーにそんなにラフマニノフの曲はない気も。
再起を決して気合を入れてみたのでしょうか?下らない話でごめんなさい。
イーヴォ・ポゴレリチのおすすめ演奏動画
イーヴォ・ポゴレリチの演奏動画の中からおすすめをピックアップしてみました。
イギリス組曲第2番(J.S.バッハ)
こちら、バッハのイギリス組曲の中でも特に傑作として知られている作品。
まず、手がとんでもなく大きいですね。12度届いたリヒテルにも匹敵するサイズなのではないでしょうか。
鍵盤上に巨大イカ出現。10度なんてラクラク上から掴めてしまうそうですよ。おっと話が逸れました。
どうですか、このバッハ。(今では考えられないくらい)キレッキレです。
バッハは声部の数が増えるにつれ、理不尽な形の重音が出てきたりして、さりげなく難しいことが多いのですが、縦のラインが完全に揃っているのが非常に心地よい。
今では好き嫌いが分かれるタイプのピアニストとなってしまいましたけどね。昔は間違いなく天才だったのですよ。
バラード2番(ショパン)
こちらショパン国際ピアノコンクールでの演奏。
どうです、最初の弱音。画面越しなので限界はありますが、さすが弱音マスターといったところです。
それにしてもポゴレリチは弱音の時、手が奇妙な形になりますね。これも何か意味があるのでしょうか。
最後のコーダへ向かう盛り上げ方もさすが。鬼気迫る、とはこのような演奏を言うのではないでしょうか。
夜のガスパール(ラヴェル)
ラヴェルの傑作とされている「夜のガスパール」。超絶技巧曲としても知られています。
ポゴレリチの演奏は決して自己陶酔したりすることなく、音楽に身を捧げるかのように没頭しているのが特徴です。
「オンディーヌ」はとにかく音の数が多いにも関わらず、その一つ一つを大切に紡いでいきながら演奏しているのが良いですね。弾き飛ばしてしまうピアニストも少なくないので。
「スカルボ」に関しては、もう「圧巻」と言う他ありません。テクニックも見事な上に凄まじいダイナミズム。
現在でもポゴレリチのレパートリーとして現役の曲です。(最もだいぶ解釈が変わっているようですが。)
イーヴォ・ポゴレリチのおすすめCD
次にイーヴォ・ポゴレリチのおすすめのアルバムについて紹介していくことにしましょう。
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
こちら、若き日のポゴレリチのダイナミズム溢れるアルバム。
本来はかの名指揮者カラヤンと共演を果たす予定だったのですが、安定感を求めるカラヤンと、個性的なテンポ設定とルバートを多用するポゴレリチとは価値観が食い違ってしまい、物別れに。
そこで白羽の矢が立った指揮者こそクラウディオ・アバドでした。一筋縄ではいかないソリストに対して一糸乱れぬ見事な伴奏です。
ロシア独特の叙情性を捨象することは決してないものの、ややモダンなタッチを絡めた、斬新な弾きっぷりです。
アルゲリッチの鉄板曲でもありますが、彼女はポゴレリチの演奏に対してどのように感じているのか、気になるところでもあります。
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番&ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第22・24番
こちらポゴレリチが約20年ぶりに出した新譜となっています。かつてはグラモフォンからの録音が多かったポゴレリチですが、このCDはSONYから出ています。
肝心の演奏についてですが、やはりスローテンポで正直、ベートーヴェンの構成力、ラフマニノフのソナタに欠かせない推進力が失われてしまっている感は否めません。
ただ、ラフマニノフの2楽章など、時折その独特の感性が煌く瞬間が垣間見えます。
作品そのものの良さを理解したいのであれば、別のピアニストの録音を聴くべきでしょう。
しかしながら、久しぶりの録音に乗り出したポゴレリチの誰にも真似できない鋭い感性に迫りたい、というのであれば、ぜひおすすめしたいCDです。
おわりに

さて、今回はイーヴォ・ポゴレリチについてご紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。
昨今の論評だったり、演奏会に行かれた方の感想を見ていますと、やはり向かい風も決して弱くはないピアニストです。
しかしながら、「とにかく上手いピアニスト」が次々と生み出されていく現代のクラシック音楽界には、こういった「スパイス」となりうる存在が少しくらいいても良いんじゃないかと個人的には思うわけですね。
先日、角野隼斗(かてぃん)さんもポゴレリチのコンサートに行かれたようで、次のようにコメント。
ポゴレリッチ@サントリーホール 心が打ち震えた。。ピアノ1台だけでこんなにも「恐怖」を体感させられたのは初めてかもしれない。ホラー体験。 pic.twitter.com/sB3PvRHDXm
— Hayato Sumino かてぃん (@880hz) February 16, 2020
やはり現役ピアニストに与える刺激は大きいのですね。
いつか僕も生で聴いてみたいものです。
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