グレン・グールドというピアニストをご存知でしょうか?
バッハの音源を探すと、大抵目にすることになるのが、このグールドというピアニストです。
なんだかグルダと名前が似ておりますが、お間違えなきよう。
グールドというピアニストを一言で表すとするならば、「前衛的」という言葉がぴったり。お堅いイメージのあるバッハですら、彼の手に掛かると全く違った曲に聞こえてしまうのです。演奏姿勢も前屈みです。
さて、今回はそんなピアニスト、グレン・グールドについてみていくことにしましょう。
目次
グレン・グールドの経歴
音楽家達に多大な影響を与えてきた世紀の天才は一体どのようにして生み出されたのでしょうか。
トロントの神童
グレン・グールドは1932年9月25日にカナダのトロントで生まれました。
スコットランド・イギリス・ノルウェーなどにルーツを持つやや複雑な家系をしていたようです。北欧を代表する作曲家であるエドワード・グリーグも親戚関係にあったのだそうで。
ちなみにGouldというスペルでグールドと読むのですが、元はGold(ゴールド)という名字だったものの、ユダヤ人と間違われるのを避けるために非公式ながら改名していたのだと言われております。(本来はユダヤの方にはルーツが無いそうですけれど。)
グールドの場合、お腹の中にいる時から母親が「立派な音楽家に育て上げよう」と決意していたようです。妊娠中にも音楽を聴きまくっていたのだとか。(効果はあるのか……??)
赤ちゃんの頃からすでに指をクネクネと動かして遊んでいたようで、母親はそれを見て大きな期待をしていたそうです。
3歳ですでに絶対音感を獲得しており、ピアノの鍵盤を押しては音がだんだん減衰していく様子に強い興味を覚えていたようです。知的ですな。
母親が自らピアノ教師の役割を務めており、5歳では早くも町のコンサートで家族と共にデビューを果たしています。2000人もの聴衆を動員したそうです。
10歳になるとトロント王立音楽院へと進学。ピアノと音楽理論についてより専門的なことを学ぶようになります。
特にピアノ演奏を指示していたアルベルト・ゲレロはグールドに「フィンガータップ奏法」という特殊な奏法を授けました。
椅子を低くして弾くあの独特な奏法はこれにより生まれたのですね。
ちなみに10代初めからグールドはリストやラヴェルの難曲をバリバリ弾いていたのだとか。俗に言うヴィルトゥオーソ系のピアニストだったようです。
そして、なんと12歳にしてピアノの最終試験に合格。それも最高点での合格だったそうです。これにてグールドはプロのピアニストとして活動することを認められることとなります。
さらに1年後には音楽理論の筆記試験にも合格し、トロント音楽院の準学士の資格を得ることとなります。同じ頃にはベートーベンのピアノ協奏曲4番にてソリストデビューも果たしております。なんたる早熟ぶり。
トップピアニストとして
1947年には初ソロリサイタル、1950年にはラジオによるリサイタルデビューを果たすなど、着実に知名度も高まっていきます。
他にも、1953年にはチェリストのアイザック・マモット、ヴァイオリニストのアルバート・プラッツと室内楽グループ「フェスティバル・トリオ」を結成していたりします。賑やかな名前ですな。
1957年には戦後初の北米人としてソ連を訪問、1958年にはボストンデビュー、1960年にはNYフィルハーモニー管弦楽団とテレビデビューと国際的なトップピアニストとして着実な歩みを進めます。
しかしながら、「コンサートピアニストとしての」グールドはこの頃が最盛期でもありました。そして、1964年にロサンゼルスで公演を行ったのを最後にグールドは人前での演奏を一切行っていません。
もともと多大なプレッシャーがかかるコンサートでの演奏に対しては否定的な彼にとって、レコーディング技術の向上やラジオの発展といった文明の力は非常に興味を惹かれるツールだったのです。
早すぎた死
かくして活躍の場をレコーディングやラジオに求めたグールドは、その後マイクを通してのみその存在を知り得るピアニストとなりました。
1982年、50歳の誕生日を迎えたばかりのグールドは突如激しい頭痛を経験し、左半身不髄を患います。当然ピアノどころではなくなってしまいます。
入院生活を続けるも容体は悪化していく一方。ついには脳の損傷も発見されたために、入院から1週間でグールドの父親は生命維持装置を外すことを決断。いわゆる安楽死ですね。
こうして、わずか50歳にしてその生涯に幕を閉じることとなります。
葬儀には3000人以上が参列し、CBC(カナダ公共放送)での放送も行われました。
トロントにある墓標ではゴルドベルグ変奏曲の最初の数小節が刻まれています。
グレン・グールドの特徴
稀代の個性派ピアニストとして活躍したグレン・グールド。彼の人生は短いものでしたが、その演奏と同様、独創性に溢れたものでもありました。
極度に低い椅子
グレン・グールドといえば、何と言っても極端に低い椅子で前屈みになりながら演奏する姿が一番に思い浮かぶのではないでしょうか。
これは先述した通り、「フィンガータップ奏法」という名前がついており、これにより一音一音の分離性と明瞭さを保ちつつ、早いテンポで演奏することが可能になるとのこと。
一般人には理解しづらい発想なのですが、鍵盤を「押す」のではなく、「引き下げる」ようなイメージで弾くのだそうです。
真似しようと思っても到底できるようなものではないのですが、彼の場合、体格や筋肉の付き方が一般人とは異なっていたのかもしれませんね。
CDから聞こえるハミング
グールドの録音には「歌声」が聞こえることが多々あります。これはグールドの母は幼い頃から「自分が弾くものはなんでも歌うように」と教えてきた影響なのだとか。
CDによっては「呻き声・唸り声に耐えられない」と評するリスナーも存在するのだそう。
録音エンジニアから止めるように言われることもあったそうですが、聞く耳持たず。頑張って編集してもあまりに大きな声なので取り除くことができないのだとか。
現代のピアニストですと、マウリツィオ・ポリーニもまた演奏しながら歌うことで有名ですね。
でも、グールドの歌声には敵わないでしょうね。グールドの場合、ハミングのボリュームが大きすぎて、旋律がレガートに聴こえるというほどですので。
皆さんもうまくレガートで弾けない時はこういう裏技を試してみると良いのかもしれません。(?)
極度の几帳面
グールドはなんでもめちゃくちゃ几帳面な性格だったそうですよ。それが災いしてか「気難しい奴だった」と言われることも少なくない。
- ・録音スタジオの温度はかなり暖かくしておかないと満足しなかったようで、空調係の人もかなり気を遣ったらしい。
- ・ピアノの高さについてもこだわりがあり、木のブロックやパッドで調節する必要があった。
といったようなエピソードが知られています。とにかく理想的な空間でなければ集中して演奏できないタイプのようですね。
演奏スタイル
対位法は音楽理論の一つで、ざっくり言うと複数の旋律をいかに調和させるかについての理論で、バッハに始めショパンやベートーヴェンなど名だたる作曲家がこれを土台にした作品を手掛けています。
そして、グールドは対位法を非常に重視していたピアニストとして知られています。「対位法が使われていない曲を聴くと、自分で旋律を足したくなる。」なんて言ってるくらいです。
そもそも非常に難解な学問なのですが、なんとかれは6歳の時から対位法を学び始めたと言うのだから驚きです。桁違いの頭脳を持った神童であったことは疑いありませんね。
また、テンポ、強弱、装飾音など作曲家が書き記したものを無視することも日常茶飯事。モーツァルトに至っては、原型を留めない演奏となり、リヒテルからも苦言を呈されることとなります。
「逆アルペジオ」という上方から下方にかけてアルペジオを弾く独自の奏法も発明。たとえばゴルトベルク変奏曲では、彼のこの奏法を真似するピアニストが続出し、ある種のスタンダードに。
コンサートについての考え
先述した通り、グールドはコンサートに対しては非常に否定的な考えの持ち主でした。
「プレッシャーの中でいかに難しいことをするか」といったようなアスリートのような競争が行われつつあることに疑問を抱いていたのですね。
表面的な演劇性をアピールする演奏のことを「快楽主義」と呼び、批判していたほどです。
それもあって31歳にしてレコーディングとラジオに活動の場を限定することを決意したわけです。
レコーディングという作業を映画撮影に喩え、テイクを切り貼りして自分の理想に近く演奏ができる、というのも彼にとっては大変魅力的だったようです。
テイクの切り貼りというのは今でこそ当たり前のように行われていますが、1本録りが主流だった当時としては画期的な試みでした。
文筆家の一面
グールドは批評活動も積極的に行っており、とりわけ芸術分野や道徳、メディアのあり方についてのエッセイなども残しています。
「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」
という立派な名言も。僕には残念ながら何を言ってらっしゃるのやらさっぱりなのですが。
独特のファッション
グールドは真夏ですら手袋とマフラー、厚手のコートを身に付けていたことで知られています。
カナダ人ということで、なんとなく寒さには強そうなきがしてしまうのですが、そんなこともないのですね。
交友
グールドはなんだか几帳面でとっても気難しい、といった言い伝えがよく聞かれますが、これは必ずしも当たらないと言えそうです。
いとこの女性と生涯にわたって仲良くしていた、毎晩長電話をするような友人がいた、などの証言もあります。
また、何と言ってもかのアルトゥール・ルービンシュタインとは大変仲良くしていたそうですよ。
人付き合いとは異なりますが大の犬好きだったことでも知られており、自分の愛犬にラブレターを何通も書いていた、というチャーミングな一面も。
なんと遺産の半分を動物愛護協会の寄付に回したのだとか。ここまで来ると、ある種の恋なのかもしれませんね。
グレン・グールドのおすすめ演奏動画
人前で演奏するのが嫌いなグールドでしたが、なんだかんだ演奏動画も残っています。見て見ましょう。
ブランデンブルク協奏曲5番(J.S.バッハ)
グールドの演奏姿を見ることのできる貴重な映像の一つがこちら。いつの映像なのかは分かりませんが、まだ若い頃の演奏ですね。
お決まりの低い椅子と前傾姿勢のせいか、地面に体が埋まってるのではないかと思ってしまう。←
それはともかくとして、グールドは演奏中にかなり体を旋回させるのですね。あと和音を弾くときは、かなり高く手を挙げます。特にグリッサンドがかかるとその傾向は顕著な気が。
この映像では弾き振りをしていますが、実はグールドは若い頃と晩年は指揮者を目指していた時期があります。亡くなるのが早かったので結局大成することなく終わってしまいましたが……。
肝心の演奏の方ですがいかがでしょう。やはり複数の旋律が同時に聞こえる感覚に襲われるのはグールドらしいな、という感じです。細かいパッセージもはっきりと弾いていてテクニックの高さも窺わせます。
ラ・ヴァルス(ラヴェル)
ラヴェルの超絶技巧曲として名高いのがラ・ヴァルス。フランス語で「ワルツ」という意味です。
低い椅子に前傾姿勢で座ってバッハを弾いているイメージが強いという方も少なくないのではないかと思いますが、その気になればこういったヴィルトゥオーソ作品もさらっと弾いてしまうのですよ。
こうしてみると手もなかなか大きい方ですね。少なくとも10度は楽々届いてしまうでしょうね。
対位法を重視したアプローチはやはりバッハ演奏とも通づるものがありますね。複数の旋律を同時に巧みにコントロールする能力にかけてはやはり流石です。
グレン・グールドのおすすめCD
グレン・グールドの残した名盤について見てみることにしましょう。
モーツァルト ピアノソナタ全集
こちらはモーツァルトのピアノソナタが収録されたアルバム。
なんとも型破りな解釈の仕方ゆえ、率直に言って評価が2分されているアルバムです。
モーツァルトを聴くためのアルバムというよりは、モーツァルトを題材にしてグールドが新たな曲を作り出している、というイメージかもしれません。(流石に言い過ぎでしょうか。)
でもモーツァルト自身、かなり遊び心あふれる作曲家であったということは広く知られていますし、そう考えるとグールドの解釈もそれはそれでありなのでは。などと色々と考えさせられるアルバムであります。
バッハ イギリス組曲
こちらはバッハのイギリス組曲が全て収録された作品。
妻アンナ・マグダレーナのために描かれた作品で、プレリュードから始まり、多様な舞曲を披露した後、ジーグで締めくくる、という形式を採っています。
内声をうまく繋げて、普通には聞こえないような旋律を作り出すなど、対位法を駆使した「グールド節」も存分に披露されています。
また、いずれもかなりのテクニックを要する作品ですが、一音一音くっきりと鳴らされており、さりげない技術の高さも窺い知ることができます。
おわりに

さて、今回はグレン・グールドについて見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
既存の解釈を大きく覆すような演奏を多数残したため、時にはリヒテルなどのピアニスト仲間や評論家から厳しい指摘を受けることもありました。
しかし、たとえそれが聴く人にとって好ましいものでなかったとしても、彼の斬新な解釈は、彼の知性と豊富な音楽理論に基づいた緻密な楽曲分析の結晶でもあります。
「対位法」を基軸とした彼のような解釈の仕方について、学ぶべきところは非常に多いのです。
ぜひ先入観を取り払って一度聴いてみて欲しいピアニストです。
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