フリードリヒ・グルダ、というピアニストをご存知でしょうか?「名前なら聞いたことあるよ!」っていう方も少なくないのでは。
もちろんピアノ演奏の腕前に関しても大変ご立派なのですが……。だがしかし、グルダ氏、なかなかにトチ狂ったお方でもありました。
どのくらいトチ狂っていたかと言いますと、演奏会の場で雨傘で決闘を挑み警察にしょっぴかれたエリック・サティにも負けず劣らずといったところでしょうか。
いったい彼はどんなトンデモ人生を送ったのでしょう?今回はフリードリヒ・グルダの経歴・特徴・おすすめ演奏動画・おすすめCDについてご紹介することにします。
目次
フリードリヒ・グルダの経歴
フリードリヒ・グルダはいったいどのような人生を歩んできたのかについて、見ていくことにしましょう。
ピアノとの出会い
フリードリヒ・グルダは1930年の3月16日にオーストリアのウィーンで生まれました。彼の父は教師をしつつ生計を立てていたのだとか。
グルダがピアノを習い始めたのは7歳の頃のこと。ウィーン人民音楽院という場所でフェリックス・パゾフスキーというピアノ教師に支持するようになります。
そして12歳からはウィーン国立音楽院でピアノと音楽理論をそれぞれブルーノ・ザイデルホーファー、ジョセフ・マークスから学ぶようになります。
禁じられた遊び
グルダが十代を過ごした時期は不幸にも第2次世界大戦の真っ只中。でもちょっとやそっとでおとなしくなってしまうグルダ少年ではありません。
当時、政府はジャズなどの一部のジャンルの音楽について、演奏することを禁じていました。
でもグルダはお友達のジョー・ザヴィヌルとそういった音楽を奏でることを楽しんでいたようです。
ちなみに、このお友達のザヴィヌルですが、のちにシンセサイザー奏者としてかなりの大物になる人物です。この方もなかなかに癖が強かったようですが。
曰く付きのコンクール
フリードリヒ・グルダは1946年、ジュネーヴ国際ピアノコンクールに参加します。一説によると、審査員の間では当初は他のベルギーのピアニストが優勝するはずだったのだとか。
ところがどっこい、一部のグルダに魅了された審査員たちが徐々に勢力を拡大し、最終投票を行うとグルダの優勝ということに。
まあ、グルダ本人には全く非が無いわけなんですが。
後になってベルギー人ピアニスト推しだったとある女性審査員が結果に満足できずにこのことを告発したことにより、ちょっとした騒動になったそうで。
そんなこんなで(ちゃっかり)優勝してしまったグルダですが、本人曰く「ジュネーヴ国際ピアノコンクールで優勝した地点で私はすでにピアニストとして完成されていた」とのこと。
やっぱり大ピアニストたるもの、これくらいのセリフをサラッと言えるような肝っ玉の持ち主でないといけないのかもしれませんね。
実際、彼の若い頃の演奏はテクニックと気品の両方を兼ね備えており、規格外の実力を持った16歳であったという事実は疑いようがありません。
ジャズとの出会い
兎にも角にもジュネーヴ国際ピアノコンクール覇者となったグルダは世界的ピアニストとして1950年のカーネギーホールデビューを皮切りに世界各地で演奏活動を行うようになります。
ちなみに同世代のウィーン出身のピアニストにはイェルク・デームスとパウル・バドゥラ=スコダもいて、当時彼らと合わせて “Viennese troika” (ウィーン3羽カラス)と呼ばれていたのだとか。
ジュネーヴ国際ピアノコンクールでの優勝を機にピアニストとしての活動を本格的に行うようになったグルダでしたが、1950年代から徐々にジャズや即興演奏に興味を持つようになります。
ジャズの分野においてはジャズピアニストとしてはもちろんのこと、ヴォーカリストとしても録音を残しています。
本人も当初は流石に気が引けたのか、”Golowin” という名前で活動していたものの、のちにその ”Golowin” は “Gulda” と同一人物じゃないか!とバレてしまったとのこと。
さらにジャズにどハマりしたグルダはサクソフォンも演奏するようになっていきます。なんだかんだめちゃくちゃ多彩なんですよね、この人。
こういったジャズへの興味が高じて1960年代のコンサートはクラシック音楽の作品だけでなく即興演奏やジャズも積極的に取り入れるようになります。斬新ですよね。
1966年には自らモダンジャズのための国際コンクールも開催、さらにはジャズや即興音楽を学びたい学生のための学校をオーストリアに建てるなどしています。
グルダのジャズや即興演奏へのただならぬこだわりというが感じられます。
また自ら「前奏曲とフーガ」というバッハの平均律の曲がジャズ風に展開されていくというユニークな作品も作曲しています。グルダはこの曲をコンサートで頻繁に取り上げており、まさに「名刺がわり」の曲となりました。
こうしてジャズの世界に足を踏み入れたこともあって、グルダは実はハービー・ハンコックやチック・コリアといった超大物ジャズピアニストとの共演も果たしています。
チック・コリアとはモーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」を録音したり、お互いが作った2台ピアノのための作品を演奏したり、仲睦まじく交流を続けました。
2回死んだグルダ
グルダは晩年、音楽界を大仰天させる事件を起こします。
事件が起きたのは1999年。「グルダ死す。」のニュースがメディアを通じて一気に世界に広まります。
ところが、翌日グルダ本人からウィーンコンサートハウスにて「グルダ復活コンサート開催!」のアナウンスが。ええ、そういうことだったのです。
そして翌年2000年の1月27日、再び「グルダ死す。」のニュースが世界を駆け巡ります。なにせ「前科持ち」だったので最初は誰も信じなかったのだとか。
しかし、今度は一向に「復活コンサート」の告知が流れてきません。そう、グルダは69歳にして本当に天国へと旅立ってしまったのです。死因は心不全だったとのことです。
フリードリヒ・グルダの特徴
クラシック音楽界屈指の変人と言われるフリードリヒ・グルダ。彼の特徴について掘り下げていきます。
レパートリー
フリードリヒ・グルダのレパートリーはバッハや古典を中心としながらも、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフまで多彩です。
さらにそれだけでなく、先程述べたとおり、グルダは自作の曲を数多く残しています。
グルダはもちろんクラシック音楽を敬愛していたのですが、既存の枠に囚われない新たな次元へと昇華させようと考えていました。とりわけジャズには大きな可能性を感じていたわけですね。
また即興・編曲の才にも長けており、調子が良い時はコンサートにおいて観客からのリクエストをもとに即興演奏を披露することもありました。
作曲家としてもいくつかの作品を残していて、例えば『ゴロヴィンの森の物語』などが知られています。本当に多才で、かてぃんさんにも通ずるところがありますね。
アルゲリッチとの交友
グルダといえば何と言っても、かの大ピアニスト、マルタ・アルゲリッチとの交友・師弟関係が有名です。
アルゼンチン生まれの彼女は、子供の頃ブエノスアイレスで開かれたグルダのコンサートで深い感銘を受けました。
そして、「いつかはグルダにピアノを教わりたい」という憧れを密かに持ち続けていたようです。
やがて彼女の夢は現実となることになります。その時の経緯についてはこちらの記事に詳しく書いていますので、どうぞ↓
グルダもアルゲリッチもダイナミズムに溢れ、テンポが早い演奏が特徴的なピアニストです。
2人の天才には音楽的な面で通じ合うところがあったということなのでしょう。
フリードリヒ・グルダのおすすめ演奏動画
アルゲリッチも心酔した天才ピアニスト、グルダ。彼の演奏動画をチェックしてみましょう。
ピアノ協奏曲第5番(ベートーヴェン)
メカニックな部分でもかなりのスキルを有していたグルダは、古典のような形式的な性格が強い作品も非常に得意です。
そして、グルダの素晴らしいところは、そういった技術面の難しさを全く感じさせないところ。
自由奔放で、とても軽やかなのですが、かといって無計画に溺れてしまうこともない。この匙加減こそグルダの真骨頂であると言えます。
この辺りに関してもアルゲリッチにそっくりですよね。
アリア(バッハ)
こちら、グルダがアンコールで即興演奏をしている時の映像です。
即興でこんな芸当ができてしまうのですね。
にしても60歳近いというのに、トリルもめちゃくちゃきれいにハマっていて、流石のテクニック。
即興演奏ということで、無理に難しいテクニックを盛り込む必要もない気がしますが、それでもトリルを入れまくるあたり、よっぽど自信があるのかもしれません。
前奏曲 Op.28(ショパン)
こちらショパンの前奏曲より抜粋です。
随所にグルダの豊かな感受性を感じさせます。また、演奏順も自らアレンジしていますが、これはこれでまた違った趣がありますね。
フリードリヒ・グルダのおすすめCD
次はフリードリヒ・グルダのおすすめCDについて見ていきます。
平均律クラヴィーア全集(バッハ)
ピアノを本格的に学ぶ者は皆必ず通るといっても過言ではない曲集である平均律クラヴィーア。
クラシック音楽の魅力を他とは変わった形で追求していたグルダですが、やはりバッハはその根底にあるのかもしれません。
実際、彼はバッハの曲を数多く編曲していますし、いかにバッハのことをリスペクトしているのかということが伺えます。
軽快なテンポが特徴なグルダですが、この録音ではむしろテンポは抑えめな印象。一音一音を大切に紡いでいく、といった感じです。
残響も少ない分、余計な装飾もなく、「素の音」を楽しむことができます。
ピアノ協奏曲第20&21番(モーツァルト)
モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも特に評価が高いCDがこちら。
もう何と言っても、一音一音のタッチコントロールが抜群。
またカデンツァでは若干jazzの影響を感じさせる部分も。
クラシック音楽界では「異端」とされるグルダですが、ピアニストとしての器の大きさを感じさせる、まさに「伝説のアルバム」となっております。
おわりに
さて、今回はクラシック界に残る天才ピアニストであるフリードリヒ・グルダについてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
伝統を重んじるクラシック音楽界の、ある種閉鎖的な部分を打ち砕こうとした彼の活動は、現在もなお非常に大きな意味を持ち続けていると言えるでしょう。
ぜひ、彼の録音に耳を傾けていてはいかがでしょうか。
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